「長寿医療制度の見直しを求める意見書」

への質疑(ふくなが洋議員)

2008.6.24

 先に自由民主党、公明党から提案されました「長寿医療制度の見直しを求める意見書」について質疑を行ないます。
 意見書に対する質疑は平成8年の消費税についていらいです。また、先の道路特定財源のときにも用意をしましたが、意見書提出の流れ、協議のなかで質疑は行いませんでした。

 しかし、この意見書の重大性から、質疑を行ないます。

 まず第1に、後期高齢者制度を何故わざわざ長寿医療制度の名前にしたのか。また、法施行日にわざわざ変えるのかもお答え下さい。
 2つに、国民の怒りは何故75歳から別立ての医療制度を作るのかに怒りが集中しています。なぜ75歳以上なのかお答え下さい。
 3つに、保険制度がある国で、このように75歳など年齢で制限医療制度を行なっている国があればお示し下さい。
 4つに、高齢者医療の質の向上とは何かについてです。
 この医療制度は、治療費に制限をつける定額制です。これでは必要な検査が受けにくくなるのではありませんか。これでどうして、高齢者医療の質が向上するのかうかがいます。
 5つに、「国民の理解を得られていない」と意見書にありますが、この後期医療制度は、2006年の通常国会で自民、公明が強行して決めたものです。
 なぜ強行してまで決めたのか。強行して国会で決めておいて、いまさら保険料の負担のあり方、徴収方法が国民の理解を得られてないとの内容は、市民に対して失礼な話ではないのか。
 6は、老人保健法と高齢者医療確保法についてです。
 後期高齢者医療制度の導入で、従来の老人保険制度とその根拠法である老人保健法は廃止をされました。
 後期高齢者医療制度の根拠法である高齢者医療確保法の第1条から「老後における健康の保持」が削られて、「医療費の適正化」が明記されました。
 これは、高齢者の健康を守るということから、医療費を抑制することになるのではありませんか。お答え下さい。
 7は、終末期と診断されると、本人や家族に「延命治療は控えめに」の誓約書を出すことになります。終末期医療にかかる費用を削減し、「在宅死」を増やそうとする。これは人間のやることではありません。
 それでも、後期高齢者制度自体の「骨格は維持すべき」とのことですが、理念が間違っている制度は廃止をすべきではないのかうかがいます。
 さらに、国民の大きな反対の民意は無視をするのか。あわせてうかがいます。
 8に、「安定的な医療保険の仕組みをつくることを目指した」と意見書にありますが、保険料は2年ごとに見直されて、75歳以上の医療費や人口が増えることで自動的に引きあがります。団塊の世代が75歳になった時は、保険料は2倍以上になるのではありませんか。お答え下さい。
 9に、年金が少なく天引きできない人が保険料を滞納すれば、「保険証の取り上げ」になって、戦後日本のために働いてこられた方に冷たい仕打ちではないのか。心が痛まないのか。うかがいます。
 10は、意見書で「保険料や医療費の無駄をなくし」「市町村間の格差をなくし」たり「税金や若い世代からの支援によって財政難を解消する」とありますが、具体的にムダとはなにか。市町村間の格差とは何か。お答えいただきたい。
 税金や若い世代からの支援で財政難を解消することは、保険制度のあり方として負担のあり方が間違っているのではないのか。
 最後に、見直しとは抜本的な見直しなのか。形だけの修正なのか。どちらなのかうかがいます。

<2回目>

 1、わが党はこれまで、後期高齢者医療制度の中止・廃止を求めて意見書を提出しました。直近では07年12月議会、08年3月議会で、後期高齢者制度の中止・撤回を求める意見書を提出しました。
 07年12月議会では、自民の委員は「一応ある程度考えた施策としては抜本的見直しを求める意見書には賛同できない」との理由で反対しました。
 08年3月議会では「賛成しかねる」と自民、公明の方は反対しました。
 抜本的な見直しなら、昨年12月議会での「抜本的な見直しには反対」といって、意見書に反対しておいて、今度は自分たちの見直しには賛成との態度は、どこが基本的に違うのかお答えいただきたい。
 2、基本的なことで伺います。後期高齢者医療制度いわれますが、この意見書では医療保険と書かれています。何故後期高齢者医療制度なのかうかがうものです。
 3、6月14日付け「公明新聞」の主張で、保険料の9割軽減が実現とありますが、これは対象の高齢者の全体の90%であるかのような説明ですが、実態は違うのでないか。わかりやすい説明を求めます。
 4、また、同じ社説で「厚労省や自治体のお役所仕事に批判が集中するあまり制度本来の趣旨まで多くの人に誤解を与えてしまったことは残念でならない」との記述は、この制度に国民は誤解をしているのではなく、後期高齢者医療制度の矛盾が明らかになっているから批判を行ない、廃止を求めているのではないのか。うかがいます。
 5、低所得者に対する保険料の負担軽減措置、新たな負担の生じる被用者保険被扶養者への負担軽減などとしていますが、何故75歳から後期高齢者医療制度なのかについては、お答えがないようでした。わが党の国会での追及で、政府・厚労省審議会では「複数の病気にかかる治療に時間がかかる」「認知症の人が多い」「いずれ死を迎える」という特性があるからだそうですが、議員もそうお考えなのか。うかがいます。
 6、4月1日の制度スタートにあたり、政府は後期高齢医療制度の通称を長寿医療制度にすると発表しました。制度初日にわざわざ通称を発表するのは、制度の破たんではないのかうかがいます。
 また、制度スタート時に、名称をつけることは過去にあったのかうかがいます。
 7、後期高齢者医療制度は、健康診断から外来、入院までの段階で安上がりの差別医療だと思います。この制度は、憲法25条の生存権、憲法14条の法の下の平等を踏みにじるものではないのか。
 8、この間、自民・公明政権は、老年者控除の廃止や介護保険の改悪、年金も減らしています。なぜこんなに、高齢者に冷たい仕打ちをするのかうかがいます。
 9、後期高齢者医療制度で、療養病床35万床から15万床に減らす計画もありますが、高齢者は病院から追い出されることになります。葬祭費も減額するのはおかしいのではありませんか。お答え下さい。

<3回目>

 6月15日の毎日新聞の世論調査でもでも「政府・与党が見直し案を間もめたにもかかわらず後期高齢者医療制度への理解が進んでいないことを浮き彫りにした」途方報道しています。
 このなかで老人保険制度に戻すことに賛成の人が多くあったと報道しています。
 さて、この問題の原点は老人医療の無料化の原点にさかのぼらなければなりません。
 岩手県の沢内村(現在の西和賀町)です。この村で深沢正雄と言う村長が、村民が医師に見てもらうのは死んだときに診断書を書いてもらうくらいだった。
 それにこの村では、お年寄りが病院に行くのに子どもや娘にお金をもらわなければいくことができない。こんなことでいのか。
 また、乳幼児もばたばた死んでゆくそんなことでいいの。病院にいくときは姑にお金をもらわなければいけないこれではいけない。
 そこで、安心して病院にかかれるように1960年に、65歳以上の医療費無料化を実現したのです。
 当初は、村の国民健康保険は赤字でしたが、無料化でお年寄りの受診率が上がり病気の早期発見・治療に、予防活動が活発になり、70年代後半から医療費が低下して、村の国保財政は黒字になりました。あわせて、乳幼児医療の無料化で乳幼児死亡率ゼロを記録して、全国的な評価を得たのです。
 70年代には、東京都の美濃部革新知事が誕生して、東京都で老人医療の無料化がおおきくすすみ、全国の自治体に燎原の火のごとく広がったのです。
 そのなかで、73年から国は老人医療費の無料化を国の制度にしたのです。岩手県の沢内村の経験が、国を動かし制度化をさせたのです。
 その後国は、有料化へ逆行しました。その流れの最後が後期高齢者医療制度ではないでしょうか。
 後期高齢者医療制度は75歳以上の高齢者を別立てにします。高齢者だけの医療制度をつくり(姥捨て山といわれていますが)、医療内容は制限される、保険料は高くなります。これではまた高齢者は病気が重くなって初めて病院にいくことになります。
 これでいいのでしょうか。
 高齢者を尊敬する気持ちがない後期高齢者医療制度は、見直しではなく廃止あるいは撤廃しかないので私は廃止を強く求めるものです
 岩手県の深沢村長は2期目の途中になくなりました。霊柩車が村に帰るときほとんどの村民が大雪の中、手を合わせて迎えたそうです。
 そのなかで、若いお母さんは自分の子どもに「あんたが生まれたのはあの村長さんのおかげだよ」と。私は地方議員としてこの原点は瞳のように大切にしたいといつも考えています。
 地方の小さな村の実践が国の制度に成りました。いくら市場主義万能でも医療や命にかかわることは市場主義に任せてはならないと思います。
 そこで最後にお尋ねします。
 これまで述べてきた老人医療の歴史からも、命は平等の原則からも今回提案された後期高齢者医療制度は撤廃するしかないと考えます。
 高齢者の尊厳を無視する、後期高齢者医療制度は理念が間違っており廃止するべきと考えないのか伺います。